掃除が出来なかった、ADHDのわたし

 

わたしは子どもの頃から妙なところで不注意だったり、忘れ物が多かったり、
攻撃的・衝動的・嘘をつくのが病的にうまい(笑)、そして片付けられない…など、
ADHDの特徴をばっちり備えていました。
ある日中学校の図書室でADHDについて書かれた本を偶然発見し、
「これは自分のことだ!」とびっくりして家に持ち帰り、母に読ませたところ
「絶対コレだよね、間違いないよね」という結論に。
ただ、多動性がそれほどなかったのと、学習面での障害がなかったために
専門のお医者さんには「運動脳と言語脳のバランスが少し悪いだけでしょう」という
ナゾのコメントを頂いただけで、ADHDだという診断はもらえませんでしたが…

診断がもらえなくても、出来ないことが多いという現実は変わらなくて
家の鍵や自転車の鍵をなくしたり落としたりして、怒られること数回。
学校にも、宿題・提出物をし忘れたり、しても机の上に忘れていったり、
学生証・名札・ハンカチ・教科書・辞書・必要書類など、とにかくことごとく忘れていく、
授業で配られたプリントは次回までに絶対になくしている…
それが当たり前になってしまっている毎日でした。
小学生までは、「忘れ物の女王!」とかクラスで呼ばれはいても
先生も面白がってにこにこしてるくらいだったし、自分もなぜか誇らしく思っていたものですが(?)
中学生から少しずつ厳しくなってきて、なかなか誤魔化せなくなってきます。
これはやばいぞ、直さなくちゃ…と本人は気をつけているつもりなのに、どうしても直らない。
どんなに気をつけているつもりでも、平気でぽろぽろ忘れ物をしてしまう。
これもまた、「自分はだらしなくて怠け者でダメなんだ」というコンプレックスの元になりました。

ADHDの主な治療法は、「薬物療法」と「行動療法」。
薬物療法で用いられる「リタリン」は、今ではほとんど処方されないくらいの強い薬物らしく
使いすぎると依存症になる恐れがあるとか。
どちらにせよ診断が降りなかったので薬は出してもらえなかったのですが、
母親はそもそも「こんな若いうちにそんな薬を飲ませたくない」と嫌がってました。

それから、行動療法。これはね、試しました。
「自分がこういう状態になったら、こういう行動をする」というのをあらかじめ決めておくのです。
例えば、部屋に服が散らばっていたら、たたんで片付ける…のはハードルが高いから
とりあえずぐちゃぐちゃでもいいから、部屋の隅のカゴに入れる。
そうやってあらかじめ決めておけば、「何をすればいいかわからない」とイライラしなくて済む。

しかしこれも結局実行するにはかなりの努力が必要で、
多少部屋の荒れ具合はマシにはなるものの、やっぱりどうしてもストレスを感じてしまうのです。
大体、その「あらかじめ決めておく」段階でもうどうすればいいのかわからない。
結局は母親の助けを借りて、一緒に決めてもらわないと無理。そんな感じなのです。

そんなわけで、わたしの「片付けられない病気」はもう半ば諦められておりました。
母親はわたしに掃除をさせるために、心理学の本もADHDの本も大量に読んでいたし
「親業」という「母親の勉強をする講座」にまで通っていたのでした。
が、ほとんど効果なし。
「本人が悪いわけではなくて、脳の性質上、できないんだ」という理解はしてもらえたので
子どもの立場としては非常に恵まれていたと思います。
が、しかし「もしいつか結婚できても、家政婦を雇うしかないんじゃない?」という現実。
そしてやはり年頃の女の子としても、掃除をしない・できない自分はコンプレックスでした。

…が、ある日思わぬ方法で、事態は解決へと向かったのです。


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