掃除が出来なかった、ADHDのわたし

 

マクロビオティックを始めてからの、一番目に見える変化というのは
わたしの場合「掃除が出来るようになったこと」でした。

なんだ、そんなこと?と言われそうですが、
わたしの掃除のできなさといったら、もう常識の範疇外でした。
部屋はゴミ溜め。机の上には食べ終わったお菓子の袋が散らばり、
床は教科書や脱ぎ散らかした洋服で埋まり、歩くスペースもない。
机の上はいつも物で埋まっていて、使うときは荷物をベッドの上に移動させて
そして寝るときにはベッドから机の上に移動させる。
そんな部屋で、特に不自由もなく平気で暮らしているのがわたしだったのです。

小さな頃から、掃除が苦手でした。
まず「部屋が汚い=不快」という感覚がない。
ものがとっちらかっていても、ゴミがあちこちに散らばっていても
別に部屋なんて寝るスペースがあればいいし、いちいち片付けるのもめんどくさい。
むしろ片付けたり出したり、ってやってる方が余計な手間がかかるんだし…
洗濯物とかも、なんでいちいちたたむのかなぁ。どうせ使うのに。
と、本気でそう思ってました。それも大学生まで!
だからなぜ掃除をするのか?という意味が、理解できなかったのです。
なんかキレイな方がいいらしいけど、でも別に自分は不自由しないしなぁ、という感じ。

そして、掃除すること自体も大嫌いでした。
数ヶ月に一度、荒れ放題の部屋に恐れをなした母親に
「片付けなさい!」としつこく怒られてから、しぶしぶ掃除にとりかかるのですが
もう本当に頭が痛くなって泣きたくなるくらい嫌で嫌でたまらないのです。

周囲の友だちは、どうやらごく普通に、すんなりと掃除しているようなのに
どうして自分にはちゃんとできないのか、こんなにイライラして嫌なのかもわからない。
自分がだらしない性格で、努力が足りないからだ…と一念発起して根性を出してみても
ものすごく限界の努力をしているから、持続しない。
そしてまた、「やっぱり自分は根性がなくてダメなんだ」と落ち込んでしまう。
ずっとその繰り返し。
気がつくと、「掃除が出来ないダメな自分」がコンプレックスになっている。

けれど掃除が出来るようになってから、なぜ自分があんなに掃除が嫌いで、
頭が痛くなって涙が出るくらいイライラしていたのかがわかりました。

それは、「何から手をつけていいのかわからないから」。

今手に持っているものをどこに置けばいいのか、どう分類すればいいのか、
散らかりすぎた部屋のどこから手をつけていいのか、机からか床からか、
散らばったものは何から拾えばいいのか、ゴミをどうすればいいのか……

混沌とした部屋の中で、いったい何から手をつければいいのかわからなくて
頭の中までも混乱。
自分が何から始めるべきなのか、頭の中では必死に処理しようとしているのに
いろんな情報が一度に入ってくると、どうしてもうまく分類・整理ができないのです。

考えても考えてもわからない、というのは脳にとってはものすごく不安定な状態。
「思い出そうとしてすぐここまで出かかっているのに、どうしても思い出せない!」
という時のあの焦燥感、もどかしさに似ているかもしれません。
あのイライラがずーっと襲ってくるのです。片付けようとするたびに。

でも、なぜか自分が「優先順位がつけられないからイライラしている」ということにも
気づかなくて、ただただ「掃除が嫌いだからイライラしている」と思っている。
そうではないのです。やることがちゃんと決まっていて、一個ずつやっていけば大丈夫…
というところまで整理できていれば、そんなにイライラすることなくできるのです。
だって、学校の掃除とかはむしろ張り切って、夢中になってやるタイプでしたから。

実は、その「ものごとの優先順位がつけられない」ということが
ADHD−多動性注意血管障害の特徴のひとつなのです。

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