..... 治療のまとめ・その後の経過など ○ こんな治療をしてました / 無気力病。 さて、その後の経過です。 基本的に、わたしの療養生活は以下のような感じでした。 ○メイン:ちょっと厳しめのマクロビオティックの食事 ○その他、補助として: ・ 漢方薬…補中益気湯、人参湯(あるいは六君子湯など) ・ ボディートークなどの自然療法…週に一度の通院時に。 ○頓服っぽく: ・ お灸…眠れないときや、思いついたときに。せんねん灸で適当にツボを刺激。 ・ 足湯…胃や腸が痛いとき、生理痛のとき、頭痛がひどいとき。 ちょっと厳しめのマクロビオティックの食事…というのは、とりあえず 「お砂糖は完全に断つ」「動物性も摂らない」というもの。 段々移行させるというよりは、すぱっとやめてしまいました。 これは…うーん、辛かったですね。 でも、「良くなるかも」という期待もあったし、なによりも家族全員でとりくんだ、というのが精神的にも支えになりました。 「絶対に治そう!」とわたし以上に家族の方が思ってくれてたんですよね。 慣れない食事を毎日作る母親、それを文句も言わずに食べる父親。 親の子を思うパワーってすごいなぁ…。と、今になると思います。 当時はそんなこと、まったく考えもしなかったですけど。 漢方薬は、身体の調子の悪いときほど甘くておいしい不思議な薬。 胃が悪かったわたしにとっては必需品でした。 (当時はしょっちゅう、胃が口から飛び出しそうな胃痛に襲われてました) 自然療法は、めんどくさい時も多々ありました。週に一度の診察でさえ、疲れるし動けないし行きたくない〜って感じだったのです。 でも、今振り返ると「受けておいてよかったな」って思います。 お灸や足湯などのお手当は、自分では全然できませんでした。 「眠れない…」というわたしに「じゃあお灸しよう」と母親がやってくれたり、「胃が痛くて死にそう…」というわたしにバケツを用意して足湯をさせてくれたのも母親でした。 当時はなぜか、疲れてたり痛かったりしても 「自分でそれをどうにかしよう」 という考えに思い至らなかったんですよね。 自分で自分を回復させよう、という気持ちがなかったみたいです。 身体の抵抗力も、心の抵抗力もなくて、為すがまま…という感じ。 普通の人と同じ生活がしたい、病気が辛くて仕方ない…と思うときもありましたが、 「別に治らなくてもいいし、ずっとこのままでいい」と思っている自分もいたりして。 自分を良くするための気力とか、エネルギーとか、全然ありませんでした。 そういう気持ちを抱くには、疲れすぎていたような気がします。 毎日、たとえぼんやりとしながらでも、なんとか生き延びていくのが精一杯。 母親があれこれと用意してくれるお手当て(足湯とか、新しい漢方とか)にも 「なんでそこまでするんだろう?」と鬱陶しがっている時期もありました。 そんなことしたって、無駄に決まってるのに。そう思ってました。 「どうしてそんなに治そうとしないの?」と時々母親が怒るのに対して、 「お母さんにはわからないよ」って言いながら泣いていたのを覚えてます。 今思い出すと、「なんであんなに消極的で頑(かたく)なだったんだろう?」 と自分でも不思議なくらいなのですが。 やっぱり身体のだるさに引きずられて、心まで無気力になっていたんだと思います。 わたしは一人のままだと、きっとどこまでも無気力に沈みこんでしまって、 いつまでも病人をやっていたと思います。 ○ 少しずつ、前進してるかな?という時期 マクロビオティックを始めたのが、ちょうど高2の冬、年が明けてから。 それから二ヶ月くらい、春になって自然療法のお医者さんに出会いました。 その間の学校やテスト、学校の行事なんかは、出来る限りパス。 進級するための、ぎりぎりの努力だけしてました。 また、当時わたしは理系だったんですけど、進級を機に志望を文系に変えました。 なぜかというと、もともと理系が向いてなかったから。 無理して、「チャレンジしなきゃ」と意気込んで理系に進んだんですよね。 文系科目のほうが好きだし、ずっと得意だったのに。 そういうチャレンジにはもう意味がなくて、今はただ学校を卒業することが 目標なんだなぁと思って、文系に変えました。 文系になると仲良しの友達と同じクラスになれたりして、楽しかったです。 さて、無事に進級してからの細かいことはうろ覚えなのですが。 確か、6月ごろには結構学校に通えるようになっていた覚えがあります。 マクロビオティックをはじめて半年くらい経った頃ですね。 当時は体重が自然に10kgくらい落ちたりして、元々特別に太っているわけでもなかったために周囲から心配されましたが、体調そのものは段々と回復していました。 夜眠れない日が、ちょっとずつ減っていったり。 胃が痛くなる回数が段々と少なくなっていったり。 授業も、「今日は大丈夫かな」という日は少しだけ聴いてみたり。 体育はまだ無理でしたが、室内でそんなに激しくないもの(卓球とか)は参加できるようになっていました。 以前はバドミントンの羽が行きかうのを見るだけで目まいがして、 意識がくらくらしてたことから考えれば、すごい進歩です。 やっぱりそれでも、熱が出て起き上がれなかったり、授業中座ってるだけでも ぐらぐらして辛かったり…という日ももちろんありました。 その頃受験の為に始まった「放課後補習」も、体力的に無理だと感じたのでパス。 (毎日学校にも行けないのに、放課後までいられるわけがないですね) 良くなったかな、と思うと倒れる。一進一退の繰り返し。こればっかりでした。 なかなかすぐには良くならないのがCFSなんだな、と本当に実感でした。 けれど段々とそのペースを把握しだして、疲れたときにはきちんと休む! ということができるようになってきたのも、この頃。 「なんとかしなきゃ、よくならなきゃ」と焦って頑張る→ぐったり疲れて悪化する… という行動を繰り返すのは病状をイタズラに悪化させるだけで、 むしろのんびり構えて、辛いときには思う存分ぐったりする方が、 近道なのでは?と思ったのです。 そして周りを見てみれば、わたしに「動きなさい!」と言う人は、誰も居ないんですね。 家族は、理解してくれている。 「疲れた」と言えば無理はさせない、ということを徹底してくれている。 学校も友達も、急かしたりしない。 母親が根回しをしてくれていたので、先生方も配慮してくれていて、 どんなにテストが悪かろうが(笑)怒られたりしない。 「よくならなくちゃ、頑張っていなくちゃ」と思いこんでいたのはわたしだけ。 進める時にはどんどん進まなきゃ!と焦る気持ちを抑えながら、 「だいじょうぶ、ちょっとずつ進んだ方がきっと近道だから」と信じながら、 毎日のんびりとマイペースに学校に通っていました。 もちろん母の送り迎えつきで、帰り道に寄り道して遊んだりして。 自分も周りも受験生だったけど、なるべく意識をしないようにしていました。 今、無理に勉強して、つぶれてしまっても意味がないし。 最大の目標は卒業なんだ。 そうわかっていたので、あまり焦りはありませんでした。 |