..... こころとからだはつながっている。

ボディートークのお話。必要のない方は、読み飛ばしてくださいね。

○ こころとからだって、こんなにつながっていたんだ。


(前回からの続き)
自然食を薦める病院にかかり、よくわからないうちに色々な自然療法を受けることになりました。とは言え、どれもとても穏やかなもの。
中でも一番効果に驚いたのが、「ボディートーク」というマッサージでした。

マッサージといっても指圧されたり揉み解されたりされるわけではなく、基本的には両手のひらでゆっくり背骨をゆすっていくだけ。
筋肉というより、ぎゅっとかたまった骨格をほぐしていく感じでした。
もちろん痛みもありません。「できれば、長ーく声を出しながら受けてくださいね」と言われました。「あー」と長く、深く声を出しながら受けることで、より身体がほぐれやすくなるのだそうです。

それから教えてもらったのが、「身体の状態から心の状態がわかる」ということ。
例えば、肋骨の辺りをほぐされながら、「随分固まってるね。警戒心が強いと、人間って自然に脇を締めちゃうんだよ」と。
なるほどー…。だからわたし、体中がちがちなのかなぁ。と思いました。
当時はいつどんなときでも常に緊張しっぱなし、びくびくしっぱなしだったのです。

「身体が『もうこれ以上頑張りたくない、頑張れない』って言ってる」とも言われました。
わたしの身体は腰骨の辺りがふにゃふにゃで、完全に弾力を失っていたそうです。
「腰を入れる」というように、ひとは頑張るときには腰に力を入れるのですが、わたしは力を入れようとしても入らない状態。完全にゆるんだ状態。(陰陽から見ると、陰性過ぎる状態ですね。)
ほんとうは、押すと程よく戻ってくるくらいの弾力のある感じがベストだそうです。
固まりすぎているのは「頑張りすぎている」サインなのだとか。

その他にも、「背骨がかたまって詰まっていると、息もうまく吸えないしリラックスしづらくなってしまう」こと、「言いたいことが言えないから、この部分が『詰まって』しまう」ことなど、マッサージを受けながら、毎回少しずつ色々なことを教えてもらいました。
「詰まる」とは、なんというか、息が深く入らない、凝り固まった状態。
因みにお金の悩みがあると首の辺りが凝るそうで、まさしく「首が回らない」状態になるのだとか…。これ、どんぴしゃで当たっている友達がいて、かなり驚いてました。

どうやら身体って、わたしが思ってる以上にわたしのことを知ってるみたい。
わたしが意識できないようなことも、身体は察知して、固まったり息を詰めたりしてる。
そういうことが、マッサージを受けているうちに自然にわかってきました。

そして何よりも、マッサージを受けていると、ほんとうに気持ちがいいのです。
ゆらゆら優しく背骨を揺らされているだけで、ふわ〜っと眠くなってきてしまうのです。
そして終わった後は、全身がほぐされてふにゃふにゃ、やたらと喉が渇いて全身がしびれたようにだるくて眠くて、不思議に心地好い感じに。
それから、息がすーっと肺の奥の方まで届くようになります。
ふかーい呼吸をしながら、「わたしって普段、全然深く呼吸で来てないんだなぁ…」とそこで初めてわかりました。「深く呼吸できる状態」を知らずに、できない状態に慣れきっているから、自分が出来てないことがわからないんですよね。

更に、不思議なことがありました。
一番最初にボディートークのマッサージを受けたとき、それが「ボディートーク」だということも知らず、どんな効果があるのかも全く知らないで受けていました。
マッサージが終わると身体がふにゃーっとゆるんで、意識朦朧の状態で母親の元に戻ります。しかし、2人で車で帰っている時に母親が、
「なんかあんた、変なにおいがする…」
え?なんで?という感じ。自分では全然わかりません。別に汗をかいたりしたわけでもなく、そんな臭いがする原因などなかったのですが。

後に「ボディートーク」の名前を知り、本を買って読んでみたところ、
「感情を表面に出せない人は、毛穴をぎゅっと締めていろいろなものを閉じ込めていることが多い。ボディートークでほぐされることで毛穴が開き体内の毒素が排出されて、ものすごい異臭がすることがあるけれど、それは好転している証拠です」
という記述を発見。ビビりました。
なんだかわたし、すごい臭いを放っていたみたいですから(笑)


○ 感情を表すことと、身体の関わり。


その頃のわたしは、怒ることもなく笑うこともなく、常に何だか虚しいのに泣くことさえ出来ず、人が怒っていれば「わたしが悪いんだ…」と落ち込み、いつも「誰かに怒られないか」とびくびくしている状態。
マクロビ的に言えば「極陰性」の精神状態だなぁ、と今はわかるのですが、当時はそんなのよくわからないし、それが自分の性格なんだと思ってました。
喜んだり笑ったり、怒ったり泣いたり…そういう感情表現が全く出来ませんでした。そういう表現って、普通は意図してやるものではないですよね。
例えば面白いと思ったときに、「笑わなくちゃ」と思って笑うのっておかしい。意識しなくても自然に笑い顔になるし、笑い声になる。それが普通なのですが、当時のわたしは「笑うこと」がすっごく難しかったんです。顔の筋肉が引きつって、一生懸命口角を上げようとしても上がらない。笑おうとするだけで、まるで重労働をした後のような、ずっしりした疲労感。
一生懸命笑っているつもりでも、友人からは「なんだか生気がない」と言われていました。それもそのはず、当時のわたしにはエネルギーなんて欠片もなかったのです。笑うことさえ疲れるくらいに。

そんな時に、例えば誰かに「あなたはもっと感情表現をした方がいいよ」と言われても、たぶん戸惑うばかりだったと思います。もっと一生懸命笑おう、と頑張っては、疲れ果てていたと思います。
そんな中で、身体の状態を整えることで精神状態をサポートしてくれたのがマクロビオティックでした。そして身体をほぐすことで、少しずつ心までほぐしてくれたのが、ボディートークでした。
当時は「たまたま見つけて、なんとなく始めただけ」だった治療でしたが、今振り返ってみると知らず知らずのうちに、その時最も必要だったものに出会っていたのだという気がします。

それから1年近く通院を続けていましたが、最後にボディートークのマッサージを受けたのは、大学に入ってすぐの頃でした。
マッサージをしてくれていた方は、わたしの腰をマッサージしながら「うん、来た頃とぜんぜん違うね。すごく弾力が出てきて、元気が出てる」ととても喜んでくれていました。

その頃はわたしも、少しずつ感情表現が出来るようになっていました。まだまだ苦手でもあったし、最近だって特訓中?ではあるのですが。
楽しいときには意識せずに笑えるようになってきていたし、家でも気分が良くて、訳もなく歌を歌っていることが多くなりました。
昔から歌うことが大好きで、小さい頃はいつも兄と2人で楽しそうに歌っていたし、何もなくても楽しそうに歌っていることが多かったのです。
が、病気になる頃からは、家の中で歌っていることなんてほとんどありませんでいした。体調も悪かったし、そういう気持ちにもなれなかったからです。
ある日なんとなく歌いながら洗濯物をたたんでいると、父親が少し泣きそうな顔で、「お前がそんな風に元気に歌いながら家事してるの、久々に見るね。」と。
そう言われて初めて、自然と歌っている自分に気がつきました。

楽しいことなんて何もない…と思っていたはずなのに、気がついたらはしゃぐように笑いながら、気分良く歌を歌っている自分がいたのです。驚きました。

わたしは、「歌を歌う」って、自分を解放することに繋がるんじゃないかな、と思います。表現のチャクラ(『気』の集まるところ、という感じ?)は喉にあると言われていますが、どんな歌であれ歌うことは自分を表現することだし、表現することって、自分を許していないと出来ないことのような気がします。リズムにのるって頭で考えても出来ないことだし、身体を解放していないと出来ないことなんだなぁ、と思うのです。
病気の頃のわたしは、人前で歌うことや自己表現をすることがすごーく苦手でした。リズムにも乗れませんでした。楽しいことに身体を委ねられずに、いつも頭で考えて、ムズカシイ顔をしてばかりいました。頭優位で、身体の感覚はほとんど死んでいたような気がします。

けれどボディートークを通して、「身体だって色々なことを考えているし、心と繋がっているんだ」ということを体感できたし(考えることではなく経験することで学べたし)、そういう「内観能力」はマクロビオティックを続けることでも養われていく気がします。直感力や自分の感じることを、以前よりずっと自分で意識して把握できるし、重視することが出来るようになる。
つまり、生きてることを楽しめるようになる。
そんな変化を、体験することが出来ました。

因みに歌うの、今は結構スキです。というか、カラオケが大好きです(笑)
今では家の中でも歌いっぱなしでよく「うるさい」と言われるけど、それは元気になった証だということでもあるから、大目に見て頂きたいなぁ…。