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..... 家族の理解



○ わかってもらうことの、大切さ。


CFS患者にとって大変なことの一つは、「家族の理解」だろうと思います。
CFSって、見た目には元気そうに見えるんです。更に、相当気合を入れて頑張れば、人並み以上に働けます。そういう姿を見ると、周りは「やっぱりやれば出来るんじゃん」と思うみたい。
でも、頑張った後は異常に疲労するんです。一日気合を入れて頑張って、自分でも「できるんだ!」って思ったのに、次の日から一週間布団から出られない…。大袈裟でもなんでもなく、本当にそうなるのです。
だからCFS患者は、治療期には「とにかく体力の温存をすること」が肝要です。これは辛かった。何もしたくないならともかく、「色々頑張りたい」のに、「十分に充電できるまで動いちゃダメ」とは…。
もともと頑張りすぎてしまうタイプの人が多いらしいのですが、自分で自分を休ませてあげられるようになることが大切みたいです。

自分でも頑張りたいけど、頑張っちゃダメ。
そういう時期に、家族が「休みなさい」って言ってくれるのと、「ちゃんと動きなさい!」と言うのでは、ものすごい差があります。例え口に出さなくても、「怠けているのでは…?」と思われていると、なんとなくわかってしまうもの。
病気の治療って、どんなものでも孤独で辛い面があるものだと思います。
身近な家族が一番理解して、守ってくれることが何よりもの後押しになるはずです。


さて、我が家の場合ですが。
学校を休みなさい、と言ってくれたのも、CFSという病名を発見し、病院に連れて行き、漢方を見つけ出してくれたのも、全て母親。
だから、母親はいつもわたしの味方でした。
後に詳しく書きますが、授業を無理なく受けられるように、学校を卒業できるようにあれこれと配慮してくれたのも母親です。
家族の理解があった、というのはわたしにとって本当に幸運なことでした。
兄は既に他県で一人暮らしをしていたため、特に問題なし。

では、父親は。
毎日のように、晩御飯の席で箸も持つことが出来ずにぐったりしているわたしの姿を見ているので、学校を休むときも反対しませんでした。
一日中寝ているからといって怒られたり、怠けていると言われた記憶はありません。昔は今よりも厳しいタイプの父親だったので、それだけでもすごいことだったんだなぁと今は思います。
(そういえば、食事を変えてから一家全員、かなり性格は変わってきてます…)

でも最初の頃は、どこかで「これはそんなにひどい病気なのか?」という気持ちがあったみたいです。


○ 理解してもらうには、実感してもらうことが必要なのかもしれない


その頃、近くの温泉街へ一泊二日の旅行をしました。
温泉に入って、寝ているだけのプラン。健康ならこの上ない贅沢ですが、わたしにとってはなんとか身体を引きずってこなさなければいけない、という感じ。それでも良い気分転換になるかも、と楽しみにしていました。
着いた日は温泉に入り、眠るだけだったので、特に問題なし。
問題は次の日でした。
民宿のすぐ近く、歩いていけるところに滝があるということを聞いていたわたしたちは、朝起きたら滝まで散歩に行こうと決めていました。
翌朝、少し早めに起こされたとき、気分はそんなに悪くありませんでした。
「早起きをして滝を見に散歩。すごく健康に良さそう!」とうきうき。
滝のある場所は歩いて5分もかからないところで、本当にすぐ近くでした。
けれど、滝にたどり着いた瞬間に気分が悪くなってしまったのです。頭とお腹が痛くて、ぼんやりする。手足が重くて、足を引きずって歩かなくちゃいけない。
けれどせっかく旅行に来たのだし、楽しい気分を台無しにしてしまうような気がして、少し無理をして平気なフリをしていました。
その後朝ご飯を食べ、民宿を後にして車に乗ったときは、
「ああ、やっと家に帰れる。そうしたら眠れる」という気持ちでいっぱいでした。
けれど、車はそのまま家に帰るのではなく、温泉街へ。父親が「この近くに美味しい蕎麦屋さんがあるらしいよ」と言って、車を止めて外を歩くことに。
本当は車の中でじっと寝ていたかったのですが、せっかくの旅行なんだから!とまた気力を振り絞って、一緒に着いていくことにしました。
因みに今だったら、「だるいから嫌だ、車で寝てる」って言えます。その頃は「疲れているからできない、したくない」ということを人に伝えるのがすごく苦手でした。伝え方も知らなかったし、弱音を吐けなかったのです。

さて、蕎麦屋を探して石畳の街を歩きます。
風情のある街並み。そこを散歩するのはきっと楽しいはずなのに、わたしは「早く蕎麦屋が見つかってほしい、早く座りたい…」という気持ちでいっぱいで、なんとか気力で足を引きずっている状態でした。
ようやく蕎麦屋が見つかっても、何かを食べる体力もなく、「そばがきぜんざい」だけを頼んで、味もわからないままに口に流し込んでいました。

車までの帰り道。
限界でした。
少し座っていられたんだから大丈夫だろうと思ったのに、足がふらついてまっすぐ歩けません。立ってるのも辛いくらいで、身体が支えきれず、手はだらりと垂れ下がり、あごを前に突き出すようにして、幽霊のように力なく歩いていました。
何度も何度も、頭がぼーっとして、目の前の景色が真っ白になり、何も考えられなくなる瞬間が訪れました。その度に道にしゃがみこんで、ぐるぐる世界が回っているような感覚をこらえるしかなく。
「ちょっときつかったみたい…」とぼんやり笑っているわたし。母親は「ほら、piricoちゃんにはちょっと無理だったんだよ」と父親に言い、わたしを引っ張ってくれます。
母親にしがみつくようにして、やっと車にたどり着いても、車のドアが重くて開けられない。どうしても手に力が入らないのです。

ドアを開けてもらい、崩れるように車のシートに倒れこむ。
そんなわたしの様子を見て、父親が「そんなにひどいのか…」と呟いていました。

そのあと、父親は「絶対に何とか治してあげないとダメだ。かわいそうだ」と母親に言ってくれたそうです。
わたしは何も言われてないのですが、そのあとの父親の態度は、前よりもやわらかく受容的になった気がしました。

たぶん、わたしの辛さを「実感」してくれたのだと思います。実感の伴う理解は、知識だけの理解よりもずっと力があります。
…本人には聞いてないから、真偽の程はわかりませんが。